―マン君の笑顔は、どこか淋しそうで、それが私の心を惹きつけた。私の書く本の主人公は、いじめられっ子や転校生が多い。自分が病弱で、孤独な子ども時代を過ごしたので、どうしてもそうなってしまうのだ。マン君の、この淋しそうな笑顔はどこからくるのだろう(本文より)―
ネパールの貧しい少年を母として見守ることになった筆者。マンをはじめとするネパール人との深い交流の中、筆者の生活や価値観は大きく変わっていく。
人気児童文学作家、渾身の書き下ろしノンフィクション
ラストは感動の涙!
<本書「はじめに」より抜粋>
私は重い小児喘息で、ほとんど小学校へ通えなかった。運動会も遠足も経験したことがない。一度発作を起こすと1か月、2か月は寝たきりで、本だけが友達の子ども時代だった。
そんな私が40歳を過ぎて、初めてネパールを訪れ、朝日に薔薇色に染まるヒマラヤを見てから、人生が変わってしまった。ヒマラヤの裾野の、そのまた裾野をてくてく歩くトレッキングに、のめりこんでいったのである。電気もトイレもない山の生活を経験するうちに、肉体的にも精神的にも、どんどん元気になっていく自分がいた。
しかし、ソモソモ、なぜネパールだったのか?
それが、「話の流れで」としか、いいようがないのだから、おそろしい。いや、おもしろい。それまで私は時折、パリを訪れ、美術館やコンサートめぐりをしていた。それがある日、ふと、「そうだ! 国を変えよう」と思ったのだ。まるで髪型でも変えるように、そう思ったのである。今から27年前、1991年のことである。私は43歳。25歳で児童文学作家としてデビューしてから、18年がたっていた。(略)
この「な~んとなく」には、神様と呼んでも、宇宙と呼んでもいいのだが、私達の「個」を越えた、大きな存在の意志が働いていたのだと、私は確信している。なぜなら、ネパールは私に勇気や喜びを与えてくれただけではなく、ネパール人の息子まで授けてくれたのだから。それも、2人も。
それでは、前置きはここまでにして、さあ! 旅に出かけよう。
第1章 えらい国に来てしまった
第2章 生まれて初めてのテント泊
第3章 この世に偶然はない
第4章 凹んだサッカーボール
第5章 貧しき者は誰か
第6章 チョムロンの赤い薔薇
第7章 おかさん
第8章 『四男』は美形僧侶
第9章 ガレキに立つ
終章 You are my everything
1947年、東京に生まれる。上智大学仏文科中退。1973年、ベトナム戦争の脱走兵と少女の交流を描いた「絵にかくとへんな家」で日本児童文学者協会新人賞を受賞。1982年思春期の少女の繊細な心を描いた「ハッピーバースデー」で野間児童文芸推奨作品賞を受賞。2005年「4つの初めての物語」で日本児童文学者協会賞を受賞。そのほか、自伝的要素の強い「わたしの秘密の花園」、ファンタジー「9月0日大冒険」、近著に「犬と私の10の約束 バニラとみもの物語」、「14歳のノクターン」,「ぼくらの輪廻転生」、「千の種のわたしへ ―不思議な訪問者」、「ぼくのミラクルドラゴンばあちゃん」など。