このシリーズは続きものではありませんので
どの巻から読んでもOKです
【五十黙示】は日月神示の中でも難解な部分になりますので
このシリーズはお役立ちです
こちらとは別に【基本十二巻】の解説シリーズが存在します
日月神示初心者向けのシリーズとなります
両シリーズをあわせ読むことによって
原典である『[完訳]日月神示』への理解が深まります
日月神示をメジャーなものにしたのは
中矢伸一氏ですが
その中矢伸一氏が
「これからは解説は内記正時氏に全面的にお任せしたい」
と言わしめたほど
真摯に神示に向き合う
内記氏の解説はまさに時宜を得たもの
かつて中矢伸一氏の日月神示を世に送り出した編集者が
社長を務めるヒカルランドから
出版されているのも意義深い
日月神示は国祖様(国常立大神)が降ろしたものであるから、それは「神の言葉」である。「神の言葉」が日月神示であるからそれは「預言書」であり、もっと言えば「ミロクの世」へ至る仕組とそのプロセスを述べた「神仕組の書」なのである!
「世界の片端、浜辺からいよいよが起こって来たぞ。夜明け近づいたぞ。」
(「極め之巻」第十六帖)
「今までの逃れ場所は山であったが、今度は山に逃げても駄目、神の御旨の中であるぞ、山に移りて海に入れよと申してあろう、今度のことぞ。」
(同巻第十七帖)
「世界一家への歩み方、やり方間違えるでないぞ。九分九厘まで進まねば後の一厘はわからん、今が九分九厘であるぞ、日本は日本、世界は世界、日本は世界のカタ国、自ずから相違あるぞ。」
本帖では特に「九分九厘まで進まねば後の一厘はわからん」と指摘しているが、ここでいう「九分九厘まで進む」とは、「悪の御用」が完成するという意味である。具体的には、日本も世界も「悪の御用」が極まって混乱と混沌が渦巻く世の中になり、人々の心は廃れて「我れ善し」の権化と化し、何もかも滅茶苦茶でお先真っ暗、未来の希望さえ見えない事態になるようなことが「九分九厘まで進む」ということであろう。
「国常立尊がウシトラからお出ましになることが岩戸開きぞ、今の学ではわからんことばかり。善と悪とに、自分が勝手に分けて、善をやろうと申すのが、今の世界のあり方。天の王、地の王のこと、ゝのことがハッキリ分からねば足場がないではないか。足場も、目当てもなくてメクラメッポウに歩んだとて目的には行きつけぬ道理。」
そもそも「岩戸開き」とは、かつて「岩戸が閉められた」からこそ起こるものである。「岩戸閉め」は合計五度も発生し、これによって神の国日本に神の光が全く射し込まなくなり、世界全体が悪神の支配する世になってしまったのである。従ってその範囲は、個人から世界の隅々まで隈なく拡散しているのは当然である。